グロスターカナリアの日常と日々徒然


by あほなうまちゃん

動物の安楽死

若くて健康な動物でも、いつ何時、病気や怪我が襲ってくるかはわかりません。

健康なのに、病気のことなど、まして「死ぬ」ことなんて考えたくないと思いますが、一度は考えていてほしいことが、動物が死病に陥った時に、どのように看取るかです。

特に家族でその動物を飼っている場合は、家族全員の意見が一致している必要があります。私たち獣医はオプションを提示するだけで、決めるのは飼主さんなので、直前にそういうことがおきても、例えば家族が遠方に赴任中など、なかなか話し合えないこともあり、意見がバラつくと、その分だけ動物の苦痛が延長されることになります。

動物は飼主が全てです。飼主が命を握っているため、飼主の選択あるいは行動一つ一つが、動物の生命の分岐点を複雑にさせています。

ここに安楽死を決定するいくつかのパターンをあげます(あくまでも私のポイント分けです)。

1、安楽死は許容しない、自然死を絶対的に望む
2、死病の際、苦痛を一切感じさせないよう、まだ症状が出ないうちに積極的安楽死を行う
3、死病の際、苦痛(疼痛、呼吸困難、摂食不可能、自力起立不可能、不快感など)を少しでも感じたら、積極的安楽死を行う
4、死病の際、苦痛が投薬等によって改善不可能だと判断した場合、安楽死を行う
5、死病の際、多少の苦痛はあるが、可能な限り自然死を望み、人道的とは言えない苦痛が生じた場合は安楽死を行う

飼い主さんの希望が全てなので、私はどのパターンも経験したことがありますが、私の提示点は4番です。アメリカなどでは、2番がわりと多く、まだ元気なうちに安楽死を行う事実や、それによって病気の治療の研究が進まないことなどから、日本の獣医師のいくらかが安楽死に嫌悪を示す原因の一つになっています。

現在の問題点は、痛みを定量することがとても難しいこと、動物の苦痛を数字で表すことは不可能なことです。いったいいまどのくらいの痛みや苦痛があるのかは、ポイントを判断するのを困難にさせます。特に猫がそうです。

ただ安楽死は、家族全員が死に立ち会えること、例えば抱っこして眠るように逝けること、動物の不可逆的な苦しみから救うことができます。最近安楽死を決断した方は「人間には許されていなくて、動物には許されていることだから、きっと何か意味があるはず」と仰っていました。なるほどなと思いました。

安楽死を選択した飼主さんはそれを恥じることは一切ないです。堂々と、安楽死を選んだと言って欲しいです。それが迷っている人への架け橋にもなります。本当にどうぶつのためを思った、勇気のある崇高な決断だと思います。

一方で獣医師は、安楽死を嫌な仕事、辛い仕事だと思ってはいけないと思います。少なくとも私は思ってないですが(むしろ全ての場合、動物も家族も楽になる)、嫌々安楽死をする獣医に、死を託せないですよね。

最近、かなり遠方の方に呼ばれました。かかりつけの病院が安楽死に否定的だったため、がんが進行して屍のようになって苦しい思いをしているとのことでした。最終的には、かかりつけの先生がしぶしぶ受け入れてくれたとのことでした。

こういう状況はとても悲しい。でもよくある。一番悲しいのは獣医師の安楽死否定だと思います。

本来なら、ずっとかかっている先生に処置をしてもらうのが一番なのです。その動物のことをずっとみている、ずっと知っている人に最後に立ち会ってもらうのが、一番です。

獣医は人間以外の生命を死に導くことができる仕事です。それは小動物臨床の現場に限っては、動物を救い、その家族を救うためにあると思います。そのためには、安楽死の選択の提示は必須です。そうして、最終的に飼主さんが決めることだと思います。生きものは必ず死にます。その時は100%やってくるので、是非一度、もしもの時はどうするか、考えて、お話してみてください。

もちろん、自然死を否定しているわけでは一切ありません。どんな状況でもベストを尽くして支えるのが獣医師の仕事です。

じゃあ実際に安楽死ってどういうふうに行うの?っていうのはまたの機会に。

[PR]
by ahonauma | 2016-09-27 15:18 | 日々思うこと | Comments(0)